自分も学校でそのように学んだし
メディアでも5000年って言ってるけど
歴史教育でそうやって学ぶからみんなそうなんだと思ってることで
でも実質的に2000年あるかどうかじゃないかwwwww
韓半島の地図もまたこんな風に学ぶでしょ
日本が我が国をけなすためにウサギの形だと歪曲するが
虎が尻尾を内側に巻いている形をしていると
でも今になって見るとウサギの形も曖昧だけど、それでも絶対に虎の形ではない
論議になる必要さえない部分までそんな風に教育しなければならなかったのか
1950~70年代があまりにも貧しくて大したことなかった国だったために
何とかしてでも自負心を入れて教育しようとしたんだろうけど
韓国の反応
実質的にウサギは本当に似ていてウサギの何が悪いのか
まあ古朝鮮自体がすごく曖昧な国ではあるけど
三国遺事(wikipedia)
『三国遺事』(さんごくいじ)は、13世紀末に高麗の高僧一然(1206年 – 1289年)によって書かれた私撰の史書。大部分の撰述の時期は1270年代後半から1280年代中頃であり、一然の没後に弟子の無極(宝鑑国師の混丘)が補筆・署名し、刊行されたと見られる。
朝鮮半島における現存最古の史書である『三国史記』(1145年完成)に次ぐ古文献ではあるが、由来の怪しい古書を引用するなど、史書としての問題点は少なくない。しかし、三国時代及びそれ以前の朝鮮半島の歴史を記した資料は極めて乏しいということもあって、『三国史記』と並んで朝鮮半島古代史の基本文献として扱われている。また、『三国史記』が名だけを留めて収めなかった郷歌(きょうか、ヒャンガ)を14首伝えており、言語学資料としての価値も高い。
東国通鑑(wikipedia)
『東国通鑑』(とうごくつがん)は、朝鮮半島の歴史書。
李氏朝鮮の世祖の時代に着手され、徐居正らにより成宗時代の1484年に成立した。外紀1巻・本文56巻で、檀君にはじまり、箕子、衛満ら、漢四郡、三国時代、新羅を経て高麗末期までを対象とする編年体の史書である。
内容は既存の『高麗史節要』、『三国史節要』、中国の史書などを流用し、誤りも多いため、現在は歴史史料として重視されていない。
日本では、『高麗史』や『三国史記』などは明治以降に出版されるまで伝来しないか稀覯本の扱いで、徳川光圀が1667年に東国通鑑を出版したことにより長らく朝鮮半島史についての基礎文献であった。
現代韓国の民族主義の基幹をなす檀君紀元は、東国通鑑での即位年の記述が元となっている。
六反田豊(監修)
青銅器が流入した紀元前10世紀頃になってようやく君長国家の形になったのではないかと推測する
モンゴル草原を渡って伝播したため青銅器の流入は韓半島や華北華中平野とほとんど同じ時期
堯舜自体が神話扱いされているんだけど(笑)
檀君(wikipedia)
檀君(だんくん、朝鮮語: 단군 タングン)は、13世紀末に書かれた『三国遺事』に初めて登場する、一般に紀元前2333年に即位したとされる伝説上の古朝鮮の王。『三国遺事』によると、天神桓因の子桓雄と熊女との間に生まれたと伝えられる。『三国遺事』の原注によると、檀君とは「檀国の君主」という意味の号であって個人名ではなく、個人名は王倹(おうけん、朝鮮語: 왕검・ワンゴム)という。
あとスレ主のニックネーム(アルテミス)見て思い出したことなんだけど
日本もアマテラスを国史の本に入れるじゃん
そろそろ土地の歴史と国の歴史は別だと理解しろ
中国もそうだが、血の流れも継承の正当性も文化も全て違う別民族やん
昔、偉人や芸能人が住んでいた家に引っ越しても親戚や子孫にはなりません